母なる大地の子宮に回帰するスウェット・ロッジ
スウェット・ロッジとは、ネイティブ・アメリカン・ラコタ族に伝わる儀式の一つと言われています。
ネイティブ・アメリカンは、俗語でインディアンですが正式には初めからアメリカに住んでいたという意味となり、スウェット・ロッジは、文字通り、「汗の小屋」という意味となります。
ラコタ語では「イニーピー」といい、「子宮回帰」を意味しています。
母なる大地の子宮であるロッジ、そこは、身体、精神、魂を浄化する聖なる空間であり、祈りの場所となっています。
スウェット・ロッジは、大地に大きなお椀を伏せたような形をしていて、ラコタの聖数、4か7の倍数の数の柳を使い円を描くように地面に枝を突き刺し、たわませて交差させながら骨組みを組んで円形にして、その上から毛布をかぶせます。
出入り口には、ドア代わりの覆いをかぶせ、開閉できるようになっていて、ドアを閉めると、ロッジの中は、密閉された暗闇となります。
まさに、大地の子宮の中に入っている状態の中で、そこに、真っ赤に焼いた石を運び入れて、その石に水をかけますので、ものすごい蒸気が空間を満たし儀式が始まります。
ロッジの中にいると、自然界の要素、土、水、火、空気を使い、大いなる存在 「ワカンタカンタカシラ」とのつながりを感じ、全ての存在と一つであることを思い出させてくれます。
儀式が終了し、大地の子宮「イニーピー」から出てくるとき、新しい命を与えられ、新しく誕生することから、熱い暗闇の中から解放され、明るい世界に出たとき、自然界の美しさ、すばらしさ、すがすがしさを実感し、すべての存在とつながっていることとともに深い感動に包まれます。
今週末の土日に、中間テストに続き期末テストも主要五科目が平均80点をクリアしたことで、中学二年生の長男が参加します(^^)/
ネタバレ注意!映画「マレフィセント」の深読み感想♪
先日、次女が最後は号泣したと言っていたので、地上波で放映していた「マレフィセント」を見てみました。
「マレフィセント」という題名はあまり聞いたことがないと思いますが、「眠れる森の美女」の悪い妖精の名前だったのです。
アンジェリーナ・ジョリーさんがマレフィセント役であるので、ただの悪役なわけはありませんでしたし、いろいろと深読みできる作品でもありました。
ごく簡単に、あらすじをネタバレすれば
マレフィセントがオーロラ姫に「死の呪い」をかけるのですが、この物語では、呪いをかけたマレフィセントがオーロラ姫の育ての親のごとくに影ながら面倒をみていたことを
呪いをかけた16歳の前には、オーロラ姫がマレフィセントに、感謝されるのでした。
まったくディズニー映画の「眠れる森の美女」とは別物なものとなり
実は、子供の頃からオーロラ姫の父親ステファンがまだ王様になってない貧しい頃に、子供時代のマレフィセントに出会っていて、「真実の愛」を誓った仲にまでなっていたのですが
ステファンは、出世のための「自己中な欲望」により、マレフィセントを裏切り、彼女の妖精の翼を当時の王様に捧げることで次期王様へと成り上がるのでした。
その裏切りへの復讐として、マレフィセントは、その娘のオーロラ姫に「16歳の誕生日の日没までに糸車で指を刺して永遠の眠りにつく」との呪いをかけるが、ステファン王が赦しを乞うたことから「真実の愛のキスによって呪いが解かれるであろう」と告げるのだった。
マレフィセントは、ステファンとの実体験により「真実の愛」はありえないことからのステファン王からの赦しに対する恩赦でもあったのだが
少女に成長したオーロラ姫がマレフィセントを「フェアリーゴッドマザー」と呼んで慕うようになり、マレフィセントはオーロラ姫をたびたび妖精の国へと連れて行くようになって森の妖精たちとともに遊ぶ楽しい日々を過ごす日々のうちに
次第にマレフィセントはオーロラ姫に呪いをかけたことを後悔し、葛藤するようになります。裏切られたとはいえ昔愛した男の娘であり、ましてや何の罪も無く、何も知らずに自分を慕う可愛い少女。そんな少女に呪いをかけてしまったことを...
もうすでにかけた呪いを解くことはできず、家を出てマレフィセントと暮らしたいと考えるようになっていたオーロラ姫に愛おしさがもういっぱいいっぱいのマレフィセントは、隣国のフィリップ王子に真実の愛を体現するように眠ってしまったオーロラ姫にキスをさせるように仕向けるのだが
なんと、オーロラ姫は目覚めることはなかった!
どないすんねん、これで物語が成立するんかいな、とここで思う人は多かったのでは?
そこで、絶望したマレフィセントは、オーロラ姫の枕元で彼女への愛を語り、自分の命のある限り彼女を守ることを誓って、その額にキスをしるのです。
すると、オーロラ姫が目を覚ましたのです。オーロラ姫の成長を見守るうちに芽生えた感情こそがマレフィセント自身に真実の愛を取り戻させていたとのことなのですが
私が思うには、やはり、呪ったものがその呪いを解かねば本当ではない、と
そうでないと、呪った者も呪われた者も救われることはない
「人を呪わば穴二つ」であるのと同様に「人を愛せば穴二つ」でもあるのだから、最後は次女のように号泣することはなかったけれど、とても救われた結末でありました(*^_^*)