日々の暮らし blog

日々の暮らしで感じたこと考えたこと体験したことなどを綴っていければと思います♪

悪夢から幸せな夢への移行は知覚を変えなくてはならない!

ニューエイジと言われているものの教えではこの世界は幻想であって夢であるとのことですが

 

だから人を殺すことをポアすると、夢なんだからなんだってやったってイイじゃないと解釈する輩がいたりするので注意が必要です。

 

『奇跡講座』では、ただ、この世界を夢であるとするだけでなく、その夢から目覚める前に同じ夢でも悪夢から幸せな夢への知覚の移行について訓練するようにできています。

 

『奇跡講座』について詳しくはコチラを参照してください!

 

『奇跡講座』は、テキストとワークブックと教師のマニュアルという三部作で構成されておりますが、しっかり読んでワークブックで訓練してもかなり難解なものとなっています。

 

インドの哲学のウパニシャッド聖典を解説したものがあるように、『奇跡講座』に関してもケネス・ワプニック博士という心理学博士が解説しているものがあります。

 

しかし、そのワプニック博士の解説を読み解くには、『奇跡講座』が二つのレベルで書かれていることを理解していないと余計こんがらがってしまいます。

 

ウパニシャッド聖典の解説のまた解説があるように、ワプニック博士の理論を解説してみたいと思います。

 

ワプニック博士は、真理のレベルと幻想のレベルを区別しています。つまり、第一レベルは、形而上的レベルとなり真実か幻想かが明確であり、神様からのものか自我からのものかのどちらかひとつでその中間はまったくないとはっきりしています。

 

第二レベルは、この物理的世界を扱うレベルで、聖霊(正しい心)の見方と自我(間違った心)の見 方、つまり、物理的世界における二つのものの見方を対比させているレベルとして解説しています。

第一レベルでは、霊に属するもののみが真理であり、霊とは神様が創造したものであるのだから、虚偽とは想像の産物とみなし神様が創造されたものの他はすべてが虚偽となります。

第二レベルにおいては、聖霊という正しい心が、何が真実であるかを私たちに使うことができるものはすべて真理とし、自我という間違った心が、真実であると教えるものは何であれ虚偽となります。

したがって、第二レベルでは、真理とは、聖霊の意志に調和しているものすべてとなり、真理は私たちと他者とをつなげるものすべてということになりますので、虚偽は私たちを他者から分離させ続けようとするすべてのものとなっています。

 

ワプニック博士は、この二つのレベルを混同することによって問題を作出していると述べているのですが

ここで、第一レベルと第二レベルを整理するならば、もしも私が誰かが誰かを攻撃する寸前のところを目撃した場合、第一レベルでは、私が見ていることすべてが幻想となります。

第二レベルで言うと、この人は邪悪で罪深くて攻撃しようとしているというところが幻想となります。

これは間違った心による知覚であると、ワプニック先生は述べています。

また、第二レベルにおいて真実であるところは、攻撃しようとしているように見えているこの人が実際には助けを求めている、というところになると

ですので、肉眼に見えているものを、つまり、誰かが誰かを攻撃しようとしているというシーンを、第一レベルと混同して、これは本当は起きていないと、幻想だとして、否定するものではないという理解になります。

このときに、否定するのではなく解釈を変えるというところが決定的に非常に重要な点となるのですが、一見しただけでは攻撃のように見えるものを助けを求める声としてとらえるということが、ここでいう解釈を変える、つまり、自我ではなく聖霊の見方をするということになるのです。

このことについてワプニック先生はイエスの例を出して以下のように述べています。

それが、イエスが十字架の上で持っていた心眼(ヴィジョン)です。

彼は人々がおこなったこと自体を否定することはしませんでした。

人々がおこなっていると 自我ならば言ったはずのことを否定したのです。

つまり、人々が邪悪で罪深く狂暴であって、彼を殺そうとしているということを、否定しました。

そのかわりに 彼は、人々が助けを求めて叫んでいて、しかも彼ら自身が受けるに値しないと信じていた愛を求めている、ということを見たのです。

それが、自我の偽りの知覚 から、聖霊の真の知覚への移行です。

ただ単に、幻想だ夢だと否定するニューエイジの考えでは知覚の移行は果たせません。

 

そして、『奇跡講座』のイエスとキリスト教のイエスとはまったくの別人なのです!