ネタバレなし!映画『シン・ゴジラ』を観て
「現実 対 虚構」とのサブタイトル?が気になっていたが
この映画を観賞しての賛否両論はすでに「現実 対 虚構」との闘いが繰り広げられることを見越していたのであろうか?
こんなのはゴジラではない
などなどの否定的なレビューは、まさしく、「虚構」を「現実」という『シン・ゴジラ』という映画に投影して勝った気になっているのかもしれない
つまらなかったという感想が悪いと言っているのではない
「虚構」という過去のイメージを「現実」のゴジラと比べることで、もしくは、自分勝手に作り出した期待という色眼鏡を当てた幻にて、色あせさせているのはもったいないかも、との私の考えだ
映画自体の内容も、この「現実 対 虚構」として観るならば
「現実=ニッポン」 と 「虚構=ゴジラ」が敵対していることがありありと描かれている
現実のニッポンは目前と迫る脅威であるゴジラ以前の「虚構」という思い込みや安直な危機管理、敗戦国を引きずっての過去の幻影に翻弄されて板挟みになっている姿をリアルにじっくりと観ることができる
「現実=自分」 と 「虚構=問題」と変えて、今、自分が直面している問題を解決するに当たって、どのような過去を引きずっての幻影に自分は翻弄されているのか?
現実の問題に対してではなく過去の虚構に反応している自分はいるのか?いないのか?
というように自分の人生に当てはめて振り返って考えることができる、単なる怪獣映画として流すにはそれこそもったいない映画とも言える
「虚構」をチームにて、まさに、次々と打ち破ってゆく痛快感、そして、様々な「虚構」をブレークスルーするならば、日本はまだまだやれるという勇気が湧いてくる映画とも言えるかもしれない
怪獣映画大好き小僧だった私にとって、シン・ゴジラはこう来たかー!という嬉しさと
同じ年の庵野監督はきっと俺ならゴジラはこうするというのをあらかじめ心にファンとして観ていながら思い描いていたのかな?とも
一度目は隣の次男が前半部分に退屈し前の席を蹴っていたことに対する注意で肝心なシーンを見損なっていたことから二度観ることとなりました(^^;)
戦闘シーンは子供も充分満足しますがそれまでの会話は子供には堪えられないとは思いますけれども
社会派映画として是非、現実のニッポンは外の脅威に対して今どうなのか?そして、戦後を引きずっている虚構とはいったい何なのか?を
巨大生命体来襲という切り口で観賞する値打ちはあると思いますので、怪獣映画大好き小僧だった方々にはオススメでーす(^^)/