日々の暮らし blog

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映画『メッセージ』の感想をば、書いてみた♪

今月27日公開するドゥニ・ビルヌーヴ監督の『ブレードランナー2049』をより楽しく観るために

 

同監督の『メッセージ』をオンデマンドTVにて観たので、ネタバレのないように書いてみます。

 

まずは、「サピア=ウォーフ仮説」の紹介から

 

「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与することを提唱する仮説。 言語相対性仮説とも呼ばれる。

 

つい昨日、この入れ物の黒色がお父さんの見ている色とキミの見ている色とが同じであることを証明することができない、という次男との話しを思い出す。

 

どんなに明瞭な言語を屈指してでも意思疎通を完璧に行うことは不可能とする、この映画の大切なプロットに由来している....

 

つまり、私たちの世界観や物事の捉え方は、使用する言語によって規定されるとする仮説であり、言語が知覚の在り方をかたちづくっているという考えとなっている。

 

私たち人間の言語は、日本人ならば上から下へ、英語は左から右のように、前から後ろへと順番に流れていくため、人類は、因果関係を伴った時間の流れをリアルに感じながら世界を知覚し認識しています。

 

ここが少しネタバレとはなりますが

 

映画に登場する宇宙人が用いる「表義文字」は、前後左右がなく、物事の循環を象徴するような「円環」で閉じていて、彼らの文法の中には現在・過去・未来といった「時制」がなく、彼らの現実認識では、世界では全ての出来事は時系列に沿って同時に起こっており、物事の因果関係は極めて曖昧な状態となっている。

 

彼らの時間の概念は、私たちが親しんでいる現在・過去・未来という線形の時間に縛られることなく、文字も時間の概念も非線形となっていて時間から解放されているという設定になっている。

 

少し難しい表現を使えば

 

私たちは、「逐次的認識様式」(事象をある順序で経験し、因果関係として知覚する認識様式)であることに対して、彼らは、「同時的認識様式」(事象を同時に経験し、その根源に潜む目的を知覚する認識様式)で

 

この真逆と言える認識様式の異なる種族同士が対話するというのもこの映画の見所の一つとなっています。

 

彼らがなぜ地球に来て何をしようとしているのか?という目的を探りたい人類に対して、「暖簾に腕捺し」の解答しか返ってこないのは無理もないことなのだが....

 

中学三年生の長男と一緒に観たので、ここのところにひっかかってしまうと、この面白さが伝わらない、その都度、オンデマンドの画像を止めたり戻したりしての私のつたない解説付きだったことから、少しはわかったようだ。

 

前置きはさておいて、本題に入ってみようと思う。

 

「同時的認識様式」とは、どのようなものなのかを想像するならば

 

始まりも終わりもない円筒形の画面の映画を自らの人生として同時に鑑賞しているということになるでしょうか?

 

もしそうであるならば、時間の概念が非線形となることから矛盾が生じてしまうことになる

このままの考えでは、現在・過去・未来という線形の時間軸がそのまま同時に認識しているだけとなってしまうからです。

 

よく議論になるのは、非線形の時間の概念と自由意志なのですが

 

たとえば

 

今という現在に至るまでにはある一つの過去だけではなく無限?の過去があり、同時に未来についてもある一つの過去から派生する一つの未来だけでなく無限?の未来があると言われていて、それは本人の「自由意志」によって異なるものだとされている

 

しかし

 

ここで言うこの「自由意志」が幻想とまではいかないまでも限定的だとしたらどうでしょうか?

と言いますのは、「自由意志」という可能性は100%であるから実現可能だと言い切れるヒトはまともな神経ならばいないと思うからです。

 

時間と感情について考察するならば

 

何らかの怒りを感じたとき、怒りの矛先となったヒトが親近者だとすると、おそらく、現在のことだけでなく過去にも同じように幾度か同じようなことにさいなまれた記憶が思い起こされていることを鑑みれば

 

間違いなく、この「自由意志」に立ちはだかるのは過去(記憶)であるので、これが現在の人生だけでなく数え切れないほどの転生を繰り返した過去による影響を無意識に縛られているとすると、「自由意志」は限定的になると言わざるをえない。

 

非線形な時間を「同時的認識様式」していることについて、時間に縛られた私たちの共通言語では説明はつかないけれど

 

ここで、フェルマーの定理を参考にすると

 

「光は必ず最短・最小の経路をたどる」ということは、光は進む方向を選ぶ前に最終目的地を知っていなければ、その最短距離を算出することはできないということならば

 

その都度に、生じた事象について、なぜ?どうしてこうなったのだ?と過去の選択を責めて未来に対して不安を感じるということがまったくなくなってしまう

 

始まりと終わりを超えた最終目的地を知ってさえいれば、自ずとして、本当は幻想だけれども「自由意志」を用いて最短距離を算出することが可能となるからだ!

 

また、もっと、わけがわからない話しをすると

 

非線形な時間を「同時的認識様式」すると、ノンゼロサムゲーム(非ゼロ和)と呼ばれている、全員が勝者になれる関係性しかあり得なくなる。

 

しかも、非線形な時間を「同時的認識様式」に移行する特徴として、おそらくだが、過去を思い起こすように未来をも思い起こすことが可能なのだろうと...

 

そのときにこそ、真にチャーンドギア・ウパニシャッドに記述されているオウという応諾とともに現在過去未来のすべてを同時に受容できるのではないかと

 

すなわち、目前の現実に心を動揺されることがまったくない心の静寂さに包まれることになるのだ!

最後の最後に一部ネタバレになってしまうけど

 

「言葉は文明の基礎であり、人々の協力関係を促し、更には闘いにおける最初の武器でもある。」ヘプタポッドと呼ばれている宇宙人が飛来以前にヒロインであるエイミー・アダムスが執筆していた本には、「武器(Weapon)=言語」であるという答えが既に語られていて

 

ヘプタポッドは「武器は時制を解放する / Weapon opens time」と言っていることから、ヘプタポッドの言葉の影響から非線形な時間を「同時的認識様式」へと移行したヒロインが実際に時間の概念を飛び越えたことが映画では暗示されている。

 

文字に起こすと小難しい話しにはなってしまったけれど

 

この映画はオススメですよ、なぜオススメなのかはネタバレになってしまうので言えませんが

ひとつ言えることは、現在の人生を知っていて、過去に戻ってもう一度、その人生を歩むのか?の問いに対して

 

私は、明確に「イエス」と言えます。

 

自らの人生についてもいろいろと考える機会となる映画なのは、原作の題名が『あなたの人生の物語』なのだから♪

 

映画『メッセージ』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ