日々の暮らし blog

日々の暮らしで感じたこと考えたこと体験したことなどを綴っていければと思います♪

印鑑は値段が高ければイイというものじゃないかも♪

まだ私が学生時代に、母が家族全員の認印・銀行印・実印をかなり高額なお金を投資して購入しました。

 

普通は、はんこ屋さんで買うのでしょうが

 

私の幼なじみにはんこ屋さんがいるので、そこで買ったのばかりと思いこんでいたのですけど

 

話しをよく聞けば、訪問販売で百万円近くの大枚で買ったハンコは

 

はじめは、占いのような感じで、「ご主人さんの仕事はうまくいってないでしょう?」とか「ご健康はあまり良くないんじゃないですか?」のようなことから

 

使っているハンコを見せてくださいといわれ、見せると、いろいろと鑑定され、いわれることがことごとく当たっていることでの、たまたま、保険のお金がおりたときだったので全部つぎ込んだということらしい....

 

まあ、いわゆる開運印鑑というものだったんです。

 

逆に、つい先日、友人から急遽、脱サラして新規事業を起業するのに実印を急いで作ったら、象牙で一万円もせずに通販で翌日配送されたものを捺そうとしたら

 

まわりのメンバーの実印と比べてかなり貧相なものだったから、ちゃんとしたはんこ屋をネットで調べて作り直したとのことでした。

 

そのはんこ屋さんをその友人から紹介してもらい、母が作った実印を見てもらったのですが

 

「正直にいうていいかな?」とすまなそうにその店主はいうので、「はっきりと言ってください」と答えると

 

話しをかいつまむと、私のその象牙は品質としては下の方で、しかも、彫刻している名前の文字は機械文字となり、いわゆる印章用専門フォントを機械で彫ってあるだけのものだということでした。

 

結局、紆余曲折はありましたが、そのお店で、彫ってもらうと、まったく比べるのも失礼なほどに芸術と呼べるような立派な実印ができあがりました。

 

こんな素晴らしい印鑑なのに母が出した金額よりも安いから驚きです。

 

場所は大阪で国から「現代の名工」を受章した澤村宗一さんが手彫りで彫刻する実印は手にすると背筋が伸びるような高貴な輝きをはなっています!

 

店売りだけでなく、ネット通販もされているので日本全国どこからでも購入できますのでオススメです♪

 

悪夢から幸せな夢への移行は知覚を変えなくてはならない!

ニューエイジと言われているものの教えではこの世界は幻想であって夢であるとのことですが

 

だから人を殺すことをポアすると、夢なんだからなんだってやったってイイじゃないと解釈する輩がいたりするので注意が必要です。

 

『奇跡講座』では、ただ、この世界を夢であるとするだけでなく、その夢から目覚める前に同じ夢でも悪夢から幸せな夢への知覚の移行について訓練するようにできています。

 

『奇跡講座』について詳しくはコチラを参照してください!

 

『奇跡講座』は、テキストとワークブックと教師のマニュアルという三部作で構成されておりますが、しっかり読んでワークブックで訓練してもかなり難解なものとなっています。

 

インドの哲学のウパニシャッド聖典を解説したものがあるように、『奇跡講座』に関してもケネス・ワプニック博士という心理学博士が解説しているものがあります。

 

しかし、そのワプニック博士の解説を読み解くには、『奇跡講座』が二つのレベルで書かれていることを理解していないと余計こんがらがってしまいます。

 

ウパニシャッド聖典の解説のまた解説があるように、ワプニック博士の理論を解説してみたいと思います。

 

ワプニック博士は、真理のレベルと幻想のレベルを区別しています。つまり、第一レベルは、形而上的レベルとなり真実か幻想かが明確であり、神様からのものか自我からのものかのどちらかひとつでその中間はまったくないとはっきりしています。

 

第二レベルは、この物理的世界を扱うレベルで、聖霊(正しい心)の見方と自我(間違った心)の見 方、つまり、物理的世界における二つのものの見方を対比させているレベルとして解説しています。

第一レベルでは、霊に属するもののみが真理であり、霊とは神様が創造したものであるのだから、虚偽とは想像の産物とみなし神様が創造されたものの他はすべてが虚偽となります。

第二レベルにおいては、聖霊という正しい心が、何が真実であるかを私たちに使うことができるものはすべて真理とし、自我という間違った心が、真実であると教えるものは何であれ虚偽となります。

したがって、第二レベルでは、真理とは、聖霊の意志に調和しているものすべてとなり、真理は私たちと他者とをつなげるものすべてということになりますので、虚偽は私たちを他者から分離させ続けようとするすべてのものとなっています。

 

ワプニック博士は、この二つのレベルを混同することによって問題を作出していると述べているのですが

ここで、第一レベルと第二レベルを整理するならば、もしも私が誰かが誰かを攻撃する寸前のところを目撃した場合、第一レベルでは、私が見ていることすべてが幻想となります。

第二レベルで言うと、この人は邪悪で罪深くて攻撃しようとしているというところが幻想となります。

これは間違った心による知覚であると、ワプニック先生は述べています。

また、第二レベルにおいて真実であるところは、攻撃しようとしているように見えているこの人が実際には助けを求めている、というところになると

ですので、肉眼に見えているものを、つまり、誰かが誰かを攻撃しようとしているというシーンを、第一レベルと混同して、これは本当は起きていないと、幻想だとして、否定するものではないという理解になります。

このときに、否定するのではなく解釈を変えるというところが決定的に非常に重要な点となるのですが、一見しただけでは攻撃のように見えるものを助けを求める声としてとらえるということが、ここでいう解釈を変える、つまり、自我ではなく聖霊の見方をするということになるのです。

このことについてワプニック先生はイエスの例を出して以下のように述べています。

それが、イエスが十字架の上で持っていた心眼(ヴィジョン)です。

彼は人々がおこなったこと自体を否定することはしませんでした。

人々がおこなっていると 自我ならば言ったはずのことを否定したのです。

つまり、人々が邪悪で罪深く狂暴であって、彼を殺そうとしているということを、否定しました。

そのかわりに 彼は、人々が助けを求めて叫んでいて、しかも彼ら自身が受けるに値しないと信じていた愛を求めている、ということを見たのです。

それが、自我の偽りの知覚 から、聖霊の真の知覚への移行です。

ただ単に、幻想だ夢だと否定するニューエイジの考えでは知覚の移行は果たせません。

 

そして、『奇跡講座』のイエスとキリスト教のイエスとはまったくの別人なのです!

 

抗酸化作用の胡麻油を細胞に食べさせて発汗するアビヤンガが気持ちイイ~♪

アーユルヴェーダって聞いたことがありますか?

 

古代インドから伝えられているインド伝承医学のことですが、その起源は今から遡ることなんと5000年前もになるとのことです。

 

アーユルヴェーダという言葉の原義は、アーユル=生命、ヴェーダ=科学という意味を持つ、サンスクリット語となります。

 

現代でも、インドやスリランカでは、病気の予防やさらには健康の維持増進や若返り(アンチエイジング)を目的とした、まさに「生命の科学」として現存しています。

 

その中でも一番身近に体験できると言いますか、アーユルヴェーダ専門ドクターからの診断なくしてできるのが、アビヤンガというオイルマッサージがあります。

 

アビヤンガは、本来は、プールヴァカルマと呼ばれている治療の前処置として施術されるものとなっているのですが、古来よりインドの王様が若返りを目的としたものとして、こよなく愛されたとしても知られております。

 

アビヤンガとは、アビヤーサ(繰り返す)と アンガ(手足)というサンスクリット語を合成した言葉で、「滑らかなもので繰り返しさする」というような意味となるのですが、胡麻油でアビヤンガをすることによって体液(血液、リンパ液など)の流れがよくなって、消化力を高め、発毛をうながしたり皮膚や子宮などを浄化するという効果があると言われています。

 

ものは試しと言うことで、インターネットで「男性」「アビヤンガ」で検索して体験してみました。

 

メチャクチャ気持ちよかったです。一般的なオイルマッサージだとか細い女性がなでるようにオイルを軽くマッサージしてもらうということですが

 

インドのマッサージは、どちらかというとゴシゴシで、オイルを塗ると言うよりは細胞にオイルを食べさせるために擦り込むという感じがピッタリします。

 

マッサージだけでも気持ちがいいのですが、約一時間半ほどのマッサージの後に全身をセロハンのようなものに包み、大きなタオルをかぶせた上に暖かい湯たんぽのようなものを全身に載せて、20分ほど発汗した後は、なんとも表現できないほどのすっきり感で、身体が軽くなったような気分を味わえました。

 

汗と一緒に身体の中につまり細胞の中に蓄積された毒素が出るのだそうで、全身の汗が出る穴から毒を出させるのがアビヤンガのミソだそうです。

 

アビヤンガは、かなりの力作業となるので男性には男性が担当してくれます。

 

体験してわかることですが、アビヤンガは担当が女性だときっともの足りないと思います。

 

大阪は堺市で本場インドのアビヤンガが体験できるアンジーラックスはオススメです!

 

ここは、男性には男性が女性には女性が担当してくれます。

 

男性の担当は、非常勤なので前もって予約する必要がありますが、八千円でたっぷり二時間以上となるので値打ちがあると思いますよー(^^)/

 

参議院選挙について想うこと....

参議院選挙が終わりました。

 

今回の選挙は、「憲法」や「拉致問題」、「選挙」、「政治家」ほか、いろいろなことについて考える機会となりました。

 

いつも通りならば、立候補している人たちについて、ほとんど知らない、といいますか、特に興味もなかったので、人相を見て正直選んでいたのですが

 

今回は、全国比例代表に、青山繁晴さんが立候補したことから、まったく、いつもの選挙の様相とは違うものとなったのでした。

 

青山繁晴さんが日頃、話しておられることごとはテレビやラジオもしくはインターネットを通じて知っていたので、是非当選して欲しいとは思っていてもなお、実際にお会いしたことはないですし、生の演説を聴いたことがないということから

 

選挙権を得て35年経ってはじめて選挙演説なるものを聴きました。

 

とはいっても、青山繁晴さんが話されることはいつも同じなのでこれといった違いはないのですが、会って握手して、この人は体温が高くてとてもエネルギッシュな方だということを、生で感じました。

 

しかし、選挙の公示が始まってからは、一切、テレビやラジオ等のメディアに出演できないというのは、今回の場合は、青山繁晴さんだったからある程度はわかっておりましたが、選挙区で立候補している人は、正直よくわかりませんでした。

 

ともあれ、これほど、投票紙に思いを込めて書いたことはなかったなぁーと

 

青山繁晴さんは、ほかの人たちとは大いに異なっていて、政治団体の組織票が一切なかったので、フタを開けてみるまではまったく予想が立たないドキドキ感がありました。

 

普通の立候補者みたいに、勝ちどきダルマは用意していないし万歳三唱はしないとのことで、見事に当選しても、これから六年間の利権や反対勢力との格闘を思えば、おめでとうございますという感じはまったくないのですが、影ながらのひとりの応援者として見守っていたいと思います。

 

コチラが青山繁晴さんの個人ブログです。

 

母なる大地の子宮に回帰するスウェット・ロッジ

スウェット・ロッジとは、ネイティブ・アメリカンラコタ族に伝わる儀式の一つと言われています。

ネイティブ・アメリカンは、俗語でインディアンですが正式には初めからアメリカに住んでいたという意味となり、スウェット・ロッジは、文字通り、「汗の小屋」という意味となります。

ラコタ語では「イニーピー」といい、「子宮回帰」を意味しています。

母なる大地の子宮であるロッジ、そこは、身体、精神、魂を浄化する聖なる空間であり、祈りの場所となっています。

スウェット・ロッジは、大地に大きなお椀を伏せたような形をしていて、ラコタの聖数、4か7の倍数の数の柳を使い円を描くように地面に枝を突き刺し、たわませて交差させながら骨組みを組んで円形にして、その上から毛布をかぶせます。

出入り口には、ドア代わりの覆いをかぶせ、開閉できるようになっていて、ドアを閉めると、ロッジの中は、密閉された暗闇となります。

まさに、大地の子宮の中に入っている状態の中で、そこに、真っ赤に焼いた石を運び入れて、その石に水をかけますので、ものすごい蒸気が空間を満たし儀式が始まります。

ロッジの中にいると、自然界の要素、土、水、火、空気を使い、大いなる存在 「ワカンタカンタカシラ」とのつながりを感じ、全ての存在と一つであることを思い出させてくれます。

儀式が終了し、大地の子宮「イニーピー」から出てくるとき、新しい命を与えられ、新しく誕生することから、熱い暗闇の中から解放され、明るい世界に出たとき、自然界の美しさ、すばらしさ、すがすがしさを実感し、すべての存在とつながっていることとともに深い感動に包まれます。

sweatlodge.jimdo.com

今週末の土日に、中間テストに続き期末テストも主要五科目が平均80点をクリアしたことで、中学二年生の長男が参加します(^^)/

 

 

ネタバレ注意!映画「マレフィセント」の深読み感想♪

先日、次女が最後は号泣したと言っていたので、地上波で放映していた「マレフィセント」を見てみました。

 

マレフィセント」という題名はあまり聞いたことがないと思いますが、「眠れる森の美女」の悪い妖精の名前だったのです。

 

アンジェリーナ・ジョリーさんがマレフィセント役であるので、ただの悪役なわけはありませんでしたし、いろいろと深読みできる作品でもありました。

 

ごく簡単に、あらすじをネタバレすれば

 

マレフィセントがオーロラ姫に「死の呪い」をかけるのですが、この物語では、呪いをかけたマレフィセントがオーロラ姫の育ての親のごとくに影ながら面倒をみていたことを

 

呪いをかけた16歳の前には、オーロラ姫がマレフィセントに、感謝されるのでした。

 

まったくディズニー映画の「眠れる森の美女」とは別物なものとなり

 

実は、子供の頃からオーロラ姫の父親ステファンがまだ王様になってない貧しい頃に、子供時代のマレフィセントに出会っていて、「真実の愛」を誓った仲にまでなっていたのですが

 

ステファンは、出世のための「自己中な欲望」により、マレフィセントを裏切り、彼女の妖精の翼を当時の王様に捧げることで次期王様へと成り上がるのでした。

 

その裏切りへの復讐として、マレフィセントは、その娘のオーロラ姫に「16歳の誕生日の日没までに糸車で指を刺して永遠の眠りにつく」との呪いをかけるが、ステファン王が赦しを乞うたことから「真実の愛のキスによって呪いが解かれるであろう」と告げるのだった。

 

マレフィセントは、ステファンとの実体験により「真実の愛」はありえないことからのステファン王からの赦しに対する恩赦でもあったのだが

 

少女に成長したオーロラ姫がマレフィセントを「フェアリーゴッドマザー」と呼んで慕うようになり、マレフィセントはオーロラ姫をたびたび妖精の国へと連れて行くようになって森の妖精たちとともに遊ぶ楽しい日々を過ごす日々のうちに

 

次第にマレフィセントはオーロラ姫に呪いをかけたことを後悔し、葛藤するようになります。裏切られたとはいえ昔愛した男の娘であり、ましてや何の罪も無く、何も知らずに自分を慕う可愛い少女。そんな少女に呪いをかけてしまったことを...

 

もうすでにかけた呪いを解くことはできず、家を出てマレフィセントと暮らしたいと考えるようになっていたオーロラ姫に愛おしさがもういっぱいいっぱいのマレフィセントは、隣国のフィリップ王子に真実の愛を体現するように眠ってしまったオーロラ姫にキスをさせるように仕向けるのだが

 

なんと、オーロラ姫は目覚めることはなかった!

 

どないすんねん、これで物語が成立するんかいな、とここで思う人は多かったのでは?

 

そこで、絶望したマレフィセントは、オーロラ姫の枕元で彼女への愛を語り、自分の命のある限り彼女を守ることを誓って、その額にキスをしるのです。

 

すると、オーロラ姫が目を覚ましたのです。オーロラ姫の成長を見守るうちに芽生えた感情こそがマレフィセント自身に真実の愛を取り戻させていたとのことなのですが

 

私が思うには、やはり、呪ったものがその呪いを解かねば本当ではない、と

 

そうでないと、呪った者も呪われた者も救われることはない

 

「人を呪わば穴二つ」であるのと同様に「人を愛せば穴二つ」でもあるのだから、最後は次女のように号泣することはなかったけれど、とても救われた結末でありました(*^_^*)